【解説】2021年の自選五首
冬野水槽です。
Twitterにて「短歌の人がいいねの数だけ短歌の話をする」というタグに参加したのですが、そこで「自分の作品を一つ解説してみる」というお題に挑戦することになりました。
「自分の短歌一首」ではなく「自分の作品を一つ」解説するということですので、ここでは2021年の自選五首を一つの連作として解説していこうと思います。
卑怯とは言うまいな……
- ①砂浜のランドルト環 神様の灯台としてまとうYシャツ
- ②卒業式は平気だったが中学に君がいなくて泣いてしまった
- ③あなたへの恋だと思っていたものの定義を聞けば崩れだす恋
- ④掬われた金魚の尾びれ わたしにも忘れたかった赤色がある
- ⑤火事のとき残して逃げた水槽の命の数を覚えていない
①砂浜のランドルト環 神様の灯台としてまとうYシャツ
高校時代の思い出を基に詠んだ一首です。
中学時代、進路を決める際に「なんとなく受かりそうな所」で決めた高校に進学することになりました。特別頭が良いところでもなく、悪いわけでもない、一般的な高校でした。
強いて特徴を挙げるならば、その高校は最寄りの駅から歩いて行ける距離に海がありました。
高校一年生の時、仲良くなった友達と、記念に海に行くことにしました。春を過ぎ、そろそろ夏に差し掛かる頃のことでした。
午後6時をまわった頃でしょうか。20分くらい歩いた末、海に着きました。砂浜にはランドルト環のようなオブジェがそびえたっており、夕陽を受けて影を落としていました。時間が時間ゆえにサーファーや通行人の姿は見えず、まるで私たちが海を独占していたかのような錯覚を覚えました。
私たちはそこの波止場で写真を撮ったり、砂浜を走ったりして過ごしました。薄暗くなっていく夕景の中、わずかな西日に照らされたYシャツだけが灯台のように光っていました。それは私たちと神さまだけが目の当たりにした青春の姿でした。
②卒業式は平気だったが中学に君がいなくて泣いてしまった
中学に入ったばかりの時の思い出を基に詠んだ一首です。
小学校時代、私には仲の良い女子の友達がいました。
私はその子に明確な恋心を抱いており、どこか旅行に行く度にお土産を渡していたものです。
小学6年の頃でしょうか。バレンタインデーにチョコを頂いたのをいいことに、ホワイトデーにお返しとして贈り物のお菓子とラブレターを渡しました。その子はすぐ中身を確認し、喜んでくれていたように覚えています。
当時はまだ幼く、「付き合う」というもの自体を理解していませんでした。そのため交際やデートなどは一切しないまま、なあなあと小学校を卒業しました。
私はそのまま近所の公立中学校に進学し、その子もそうするだろうとなんとなく思っていました。しかし、入学式にその子の姿はありませんでした。その子は私立の中学校を受験しており、私はそのことを知らなかったのです。
それ以来その子と何かがあるわけでもなく、悲しいとも切ないとも違うような、胸の異物感を抱えたまま、今に至ります。人生の黄金期は去ったような気がします。
③あなたへの恋だと思っていたものの定義を聞けば崩れだす恋
「恋」について考えていた時に思いついた一首です。
手元の辞書によれば、「恋」とは
「[男女間で]相手を自分のものにしたいと思う愛情をいだくこと。また、その状態。」
とあります。
(学研 現代新国語辞典 改訂第五版 小型版より引用)
この定義によれば、恋とは男女間にのみ生じるものであると解釈できるでしょう。
しかし、実際には様々な恋愛の形があります。それは単純に「男」と「女」という二者だけで成り立っているものではありません。「男」と「男」、「女」と「女」の恋はもちろんのこと、そもそも「男」や「女」と単純に区別されない人々もいます。
このような思考を続けていると、そもそも私が「恋」だと思っていたものはなんだったのか、そもそも私は「恋」を知らないのではないか、といったように思えてきました。
そのような意味において、私は実際には「恋」を知らないということができるでしょう。(まあそもそも私交際したことないし)
④掬われた金魚の尾びれ わたしにも忘れたかった赤色がある
⑤火事のとき残して逃げた水槽の命の数を覚えていない
昔の思い出を基に詠んだ一首です。
小学生くらいの頃でしょうか、私の家の近くで火災が発生しました。
当時私の家には小さな水槽があり、そこで金魚すくいで手に入れた金魚や出目金などを飼っていました。
私はその時、別の部屋で姉とDSを見ていました。午後7時をまわった頃でしょうか。両親の「早く出ろ!」「火事よ火事!」という声に跳ね起きると、私の部屋のガラス越しに真っ赤な炎が立ち上っているのが見えました。
冬に差し掛かっていた頃だったと思います。ふと「外は肌寒い」と思い、タンスから衣類という衣類を引っ張り出し、父の車に乗り込む時でした。
水槽。そうだ、水槽がまだ中に。
私はパニックに陥りながらも、家に取り残してしまった水槽のことを考えていました。しかし取りに戻る勇気はなく、鼠色の濃い煙に包まれながら、消防士や野次馬たちの背中をただ眺めていました。
火は思ったよりすぐに消し止められました。
火元は近所の家のストーブで、2011年頃に始まった計画停電により、放置されていたストーブにカーテンが引火したとかなんとかだったと記憶しています。
我が家は無事だったのですが、それでも水槽の命を見殺しにしたこと、文字通り火事場の騒ぎで水槽の水が揺れていたこと、その金魚たちのことは忘れられません。
しかし水槽の金魚の数を覚えていないあたり、私もそこまで情に徹していたわけではないのでしょう。「所詮金魚」という思いがどこかにあったのかもしれません。
金魚すくいの屋台を目にするたびに、そんなことを思い出します。
今回は以上になります。
ご覧いただきありがとうございました。