ゼロになって

短歌と日記と趣味について

【日記】2023年6月11日(日)

冬野水槽です。生きてます。かろうじて。

 

ここ最近は実家に帰ったり、精神科へ行くペースが増えたり、仕事を週単位で休み続けるなどしています。限界社会人か?

 

とはいえ実際限界感はある。短歌や俳句も思いつかないし、日記やnoteも更新頻度が落ちたし、そもそも書きたいとすら思わない日すらある。今日は異様な不眠と不安に苛まれているので、気を紛らわすためにこうして文字を書いているというわけです。

 

今の会社、環境はいいのに自分が適応できなくてかなりしんどい。現に長い間休んでしまっているし、自分はこの仕事に向いていないとすら思っています。入社して2・3か月で言うことじゃないだろうけど。

もう自分がどうしたいのかも分からない。辞めたいのか、転職したいのか、はたまた続けたいのかすらもあやふやになってしまっている。自分がこの仕事に合わないのか、どの仕事でも最初はこんなものなのか、あるいは別の原因があるのか。

 

まあこんなことばっか考えているので、Twitterでもやたらめったら病んだり悩んだりしているわけですね。とっとと楽になりたいですわ。手段は問わない。

【日記】2023年3月27日(月)

冬野水槽です。

引っ越しました。

 

4月からの就職を機に関東某所に引っ越したんですが、この影響でかなり時間とお金を食われてしまいました。引っ越しって大変ですね。生まれてからずっと実家暮らしで、転勤などで引っ越すこともなかったのでかなり新鮮な感覚。家に一人きりという状況が珍しすぎて面食らってます。

 

知らん場所の知らない系列のスーパー、思ったより圧倒されますね。一人で行ったっていうのもあるけど。
順路や品揃え、レジのシステムとか営業時間とかを一切知らない状態で入店したので、まるで知らない場所に一人取り残されたかのような感覚を覚えました。「ような感覚」っていうかまんまその状況かもしれないけど。思ったより緊張して落ち着かなかったので、好きな音楽を無限にシャッフル再生して正気を保っていました。

母と一緒にスーパーへ行くことは何度かあったんですが、一人で、しかも自分が購入・調理する立場となると考えることがめちゃめちゃ多くて大変でした。
例えるなら車の運転に近い。助手席や後部座席であれば喋ったり周囲を見たりする余裕があるけど、いざ自分が運転するってなると見る箇所や注意する点が多すぎて頭パンクしそうになるっていうやつ。
まあ私免許持ってないんですけどね。教習車で得たにわか知識でしかない。

 

ともかく、自分が買い物するってなると、考えることが多すぎて途方に暮れました。
たとえば、家にあるもの―段ボールで運んできたものや、あらかじめ買ってあるものは、何がどれくらいあるのか。
買ったものは冷蔵庫には入りきるのか、また冷蔵保温でないものはどこに置くのか。いつ、何を、どれくらい作るのか。そもそも明日の食事はどうするのか。予算はいくらか……などなど。
主婦や主夫の方々は、毎回こんなことを考えながらスーパーを回っているのか、それも当然のように……。畏敬の念を抱かざるを得ません。

 

というか、食べ物って思ったより高いんですね……。そもそも自分で払ったことがほとんどないので、毎回値段を見るたびにビビりました。鶏むね肉が485円で、液状のお味噌が258円、サラダ油がかなり安くても298円くらい!相場を知らないので高いんだか安いんだかは正確には分からないんですが、想像以上の値段であったことは確かです。そもそも私が世間知らずってのはある。社会を知れぃ

 

両手に重い袋を引っ提げてよたよた帰ったんですが、道中の道端にドアのアームが落ちていてウケました。あの、ドアの上部、蝶番側によくついてるアーム。アームで合ってるのかあれは。

 

まあなんにせよ、これから数日間は暇だったり暇じゃなかったりするので、こうして日記をずいずい書いていきたいと思います。乞うご期待。チェケラ。

 


ネット回線がないので、この文章をアップできるのは早くとも数日後ってのがネックですね。

ボケ――――――――――ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!

【日記】2023年3月5日(日)

冬野水槽です。

今日は頭痛で教習所を休んだり、新生活に備えニトリで色々買ってもらったり、インターネット上でよく見られる悪意に傷ついたりして過ごしました。

 

頭痛は鼻のかみすぎが原因なんじゃないかと睨んでいます。

多分花粉症だけど、去年までは一切花粉なんて効かなかった体なのでちょっと残念。花粉症の薬が効けば花粉症ってことになってしまうので、できればただの鼻炎やアレルギーであってほしいです。それでも嫌だけど。

 

この間健康診断に行ったんですが、肝臓に問題があるらしく精密検査を求められました。ダルすぎる。

長生きしたくもないしする気もないんですが、受けないと仕事に支障が出そうな気がするので明日また予約して行くつもりです。マージでダルい。

 

死はそんなに怖くない(単に死生観が幼いだけなのかもしれない)と思っているんですが、その途中で訪れる苦痛は怖すぎる。怪我の痛さとか病気の苦しさとか、そういうものと戦ってまで生きたくはない。ボケたくもないしね。

できれば人生の下り坂に入る前、幸福度が頂点に達した時にでも死にたいな~とはぼんやり思ってます。自分ごときが社会をより善くできるわけでも、家庭を持って妻子と一緒に暮らせるわけでも、そもそも自分自身を幸せにできるわけでもない気がしてしまうので。

自分の中に「生きる理由」というものが全くないのを感じます。私自身がビッグになりたいわけでも、良くない人生から脱出したいわけでもないし。ほどほどに生きて、ほどほどに幸せになって、できれば惜しまれながら死ぬのが理想かな。

 

鬱状態はある程度寛解してきたとは思うんですが、死にたい気持ちは依然ある。

そもそも人生に期待していないのか、それとも逆に夢を見すぎているから現実に絶望しているのか。この希死念慮の底にあるもの、結構考察しがいがありそうですね。

 

(ちなみに、ブログって”死にたい”とか”自殺”とかを含む文章は投稿できるんだろうか。テストがてら伏せ字なしでお送りします)

 

 

今月末から関東某所で一人暮らしを始めるんですが、その下準備のためにニトリへ行ってきました。家具以外にも日用品がめちゃめちゃいっぱいあって楽しかった。

両親と一緒に行ったんですが、母があれもこれも必要かもって張り切っていたのが印象的でした。母が引っ越すわけでもないのに。

買い物っていいですね。物がどんどん自分の所有物になっていく快感がある。征服感というか。こういうのってみんな持っている感情なのかしら。

 

一人暮らし、不安とかダルさもあるけど、それ以上に期待が大きいです。

まず一人の時間が確保されること。マジででかい。爆アド。

実家でも一人の時間は作れないことはないんですが、「誰も干渉してこない缶詰状態」となると難しくて。一人暮らしだと結構そういう時間が多くなりそうでよきです。良。

 

あとは生活リズムを自分のペースで決められること。

仕事の都合上、生活リズムが定まらないことが多いと思うんですよね。夜勤とかあるタイプの職場なので。そういう時実家だと色々家族に気を遣ったりしちゃうと思うんですが、一人暮らしだとそういうこともないと思うので、そこは多少気楽かな、と。もちろん家事全般を一人で担うことになるので、想像以上に忙しい日々になるかもしれませんが。

 

まあでもなんとかなると思い込んでやっていくしかありませんね。

将来の自分に任せます。がんばってくれ。

 

 

インターネットの悪意に関してはあんまり面白く書けないと思うので割愛。

特にコメントはないですね。

 

 

そんなわけで、今日はここまでとさせていただきます。

冬野水槽でした。それでは。

 

リクエスト、コメント、苦情などはマシュマロまでお願いします。

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【日記】2023年2月13日(月)

冬野水槽です。

 

体調が悪い。いつものことですが。

具体的には頭痛、腹痛、情緒不安定。(「5080よろこんで」みたいな)

今日は食っちゃ寝していたらこんな時間になっていました。体調悪いし、何も予定なかったし、教習所は定休日だからいいよね。どうか許してください。

 

最近は心身共に調子の悪い日が続いており、どうも本調子が出ない。体調に関してはいつものことだからいいにしても(よくないが)、精神的に参っていると読み書きができなくなってしまうのがつらい。積んでいる本を消化することも、温めている作品を書き進めることもできず、ただただ焦燥感だけが募っていく日々。つらいぜ。

 

短歌や小説、noteに関しては全然更新できていないんですが、俳句に関しては別。今のところ、次回の句会に出せるだけの作品はストックできています。それでも、いつガス欠になるかなんてわかったもんじゃないんですけどね。迷いながら走り続けるしかねえ。

俳句、たまに句会の場や先生から褒めていただくことがありうれしい。昨日は所属大学の句会があったんですけど、お招きした先生にお褒めの言葉を頂きました。いえい。

俳句は賞や句会に出すことを目標としているので、あんまりSNSで発表できていないのが少し気になっています。ただでさえ作品の更新頻度が低いのに、現在一番に取り組んでいる俳句を公開しないのはどうなのか……という。Twitterのフォロワー様は基本的に短歌関係の人が多いので、俳句にはあんまり関心がないんじゃないかという気持ちもまたあるけど。

 

短歌と俳句、どちらも抒情詩ではありますが、かなり表現に差があって面白い。短歌は割と観念的でも成立しやすいのに対し、俳句はもっと具体的でないと成立しにくい感じがします。季語や情景を具体的に詠み込むことで、景色を見せるというか。

高浜虚子は、俳句を「絵画と甚だ似通ったものである」とし、以下のように述べています。

絵画が色や線で形を現すと同じく、俳句は文字を以て景色や事件を現すのである。/高浜虚子、『俳句への道』、岩波文庫、1997、p36

それに対し、短歌に関しては以下のように述べています。

歌はその三十一字という調子からも、また何の季題の制約もない所から主として抒情に適する。/同上、p84

一方、俳句は文字数と季題の制約があるため、「歌の如く抒情には適さない」(同上、p84)と述べています。しかし、これは俳句が情を表現できないということではなく、あくまでも俳句の基本は季題であり、そして「客観写生」であるということです。

歌は主観的の傾向が強く俳句は客観的の傾向が強い。俳句の客観性から客観写生という。/同上、p79

それでは「客観写生」とは何ぞや……という話は長くなりそうなので割愛します。

詳しくは実際に読んでみてください。640円+税。

https://amzn.asia/d/79Lxtq5

 

 

ちょっとだけ元気が出てきたので、短歌とか俳句とか小説とか読書とか、なんでもいいから文字に触れる作業を始めたいと思います。今日の日記はここまで。

冬野水槽でした。それでは。

 

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【日記】2023年1月8日(日)

あけましておめでとうございます。冬野水槽です。

 

今日は友達の運転で地元の銭湯に行ったんですが、集合時間が朝の6時だったのでめちゃめちゃ眠かったです。早スンギ。

 

でも朝風呂っていいですね、贅沢な時間の使い方だと思います。今日行ったところは結構広く、値段もお手頃だったのでかなり楽しかったです。炭酸風呂や、屋外で横になれる湯舟などが色々あって、何度も通う楽しみがあるところでした。風呂上がりにコーヒー牛乳も飲めたし。

 

私、温泉や銭湯は好きなくせに家の風呂に入るのはあんまりなんですよね。好きじゃないというより、面倒臭い気持ちが勝ってしまう。汗を流したり、湯舟でゆっくりするのは気持ちよくて好きなんですが。

この感情、本当になんなんだろう。風呂場に向かうのが嫌いなのかな。移動すること自体は嫌いじゃない(「移動が嫌い」ってなんだよ)と思うんですが。風呂に入るまでのプロセスを分解してしっかり考えてみようと思います。

 

 

また、今日は夕方に教習所へ行ってきました。

運転、怖すぎるな。マリオカートグランツーリスモで得たにわか知識では到底太刀打ちできない。

今日は構内運転の初回だったんですが、上手いことハンドルやブレーキの制御ができなくて終始あたふたしてました。こればかりは経験不足ですかね。

人の運転でどこか行くのは全然好きなんですけど、自分が運転することを考えると、怖すぎてめまいがしそうです。なんで普通の人間って色んなところに注意しながらハンドルだのアクセル/ブレーキだの動かせるの?脳が4つ付いていらっしゃる?

 

車を運転したい気持ちが皆無なので、モチベが低すぎて困っています。あくまで必要だから通っているだけで、自分の足でどこかに行きたい気持ちがあるわけではない。こんな人間でも免許って取れるものなんでしょうか。

 

 

最近、読んだ本の内容をノートにまとめる作業をしているんですが、これがまあ面倒でしょうがない。

文字を書くのがめちゃめちゃ遅いうえ、注意力散漫なのですぐ目線が迷子になってしまう。内容をしっかり覚えているわけでもなければ、その場で瞬間的に記憶しつつ書き写す芸当ができるわけでもない。傍から見れば、マジで効率の悪い方法でやっているなと思われることでしょう。

それが楽しいかと聞かれれば、そうでもないというのが正直な感想です。最初はモチベーションに溢れているけど、少しずつ進めていくにつれやる気は落ちていくばかり。今となっては残りのページ数を見ながら、一刻も早く書き終わることを望んでばかりいます。なんでこんなことやってるんだろう。

 

この作業、もともとは図書館の本を熟読するために生み出したものなんですよね。自分の本であれば付箋やアンダーラインを引くんですが、図書館の本にそんなことできるわけがないので書き写しているって感じ。

それが発展して、「読んだけど内容覚えてない自分の本にもできるんじゃね?」と軽い気持ちで始めたのがきっかけです。まさかこんなに時間とモチベを食う作業だとは……。

この作業、やっかいなのが「中断するのは気持ち悪い」と思ってしまうところなんですよね。中途半端に完璧主義者なので、「途中から別の本の内容に移るくらいなら、いっそ一冊分書き上げてしまう方が気持ちいい」と思ってしまう。とはいえ今やっている本はかなり内容が濃い上分厚い(300ページ強)ので、完成させるのに何日かかることやら。心が折れそうです。

まあウダウダ言っていても何にもならないので、少しずつ取り組んでいこうと思います。根気のいる作業には向かない、ということが分かっただけでも収穫だとしましょう。そうでもしないとむなしすぎる。

 

 

そんな感じの一日でした。

最後になりますが、本年もよろしくお願いいたします。

冬野水槽でした。それでは。

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【日記】2022年12月14日(水)

冬野水槽です。

一カ月ぶりの投稿です。一カ月ぶり⁉⁉⁉時経つの速すぎるだろ。

 

今日は早起きをしたり、授業を受けたり、歌集を読んだりして過ごしました。

久しぶりにしっかり寝ました。0時頃から8時半頃まで。

今のところ思考がクリアで、普段より過ごしやすく感じます。また、希死念慮や鬱症状が治まっている気がします。今までの憂鬱はただの寝不足だったってコト⁉

 

気分が明るいせいか、行き帰りの電車で空を見ていました。

近視な上に、掛けている眼鏡には紫外線対策のコーティングが施されているため、空本来の姿や色を見ることはできませんが。

でも、世界って本来そういうものだと授業で聞いたことがあります。「人間が観測できるのは世界そのものではなく、世界という表象(≒イメージ)である」みたいな。表象文化論の授業だったはず。

 

そういえば、2週間くらい前に『RRR』を観てきました。

ネタバレになるので詳しくは言いませんが、音楽や演出が素晴らしく、外連味のある作品でした。もちろん”完璧”ではなく、ジェンダー的役割の描かれ方などが少々気になりはしましたが。とはいえ、個人的にはかなり楽しめた作品でした。また観たい。NETFLIXとかで配信されないかな。

 

それにしても、スマホだと文字が打ちづらい。エンターキーと変換キーを打ち間違えたり、フリックの方向を間違えたりします。PCのキーボードより、スマホの方が触っている時間は長いはずなんですが。キーボードと比べ、スマホの画面は平坦なのが関係しているのかも。キーボードは凹凸があるから指先の感覚を頼りにできるけど、スマホはそうはいかない。

スマホフリック入力に慣れない理由として、「有限性が少ない」というのは一理あると思います。「一つの媒体でできることに制限がかなり少ない」というか。キーボードが文字やコマンド入力しかできないのに対し、スマホの画面はできることがかなり多い。スマホにおけるフリックやスワイプは「文字入力」であり、「画面の移動/操作」であり、「ゲームの操作」であったりする。

キーボードよりも直感的な操作ができる代わりに、「このボタンを押せば”1”が入力される」のような単純な操作性が失われているというか。たとえばガラケーでは、何を押せば何ができるか、ボタンに書いてある。電話帳とかリダイヤルとか(代わりに、それ以外のことはあんまりできない)。スマートフォンはボタンという殻を脱ぎ捨てたが、その殻こそが「アクセスのしやすさ/初見時の使いやすさ」に直結していたのでは。

この意見を見て、「アクセスできない情弱が悪い」「時代に取り残されている」と言うことは容易い。しかし、技術が飛躍的に進歩している現代において、私たちが「情弱」や「取り残される立場」にならない保証はない。

個人的な話になりますが、最近MCUマーベル・シネマティック・ユニバース。『アイアンマン』や『ハルク』、『キャプテンアメリカ』などが同じ世界の出来事であるとする映画作品群)を見ているんですよ。その中では、登場人物であるトニー・スターク(=アイアンマン)がAR(拡張現実)やホログラムを使った技術を使い、様々なアイアンマンスーツやテクノロジーを開発するシーンが描かれています。

youtu.be

アイアンマンスーツやロボットなどはともかく、私が注目したいのはトニーが使うこのホログラム技術です。PCやスマートフォンではない(それらを使うシーンもあるが)、完全に非物質的なテクノロジー。それはキーボードやフリック入力といった次元を超越し、さらに直感的な操作を可能にしています。

これは映画内での演出にすぎませんが、もしこのようなテクノロジーが現実世界で実用化される日が来たとしたら?機械のパーツを投影したホログラムに手を突っ込み、そのまま”動かす”ことができる時代が到来したら?そして、そのような技術が大衆にも浸透したら?

事実、現代においてVRやARは様々な場で活用されています。それらの研究が進めば、トニーの技術が実用化される日も来るかもしれません。その時、私たちが「時代に取り残された情弱」でない保証などないのです。

 

今回はこんなところです。
冬野水槽でした。それでは。

 

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【日記】2022年11月14日(月)

冬野水槽です。

不安と憂鬱感がひどく、何もできない一日でした。

 

授業の課題は出せず、早起きもできず、本も読めず。ゲームをちょろっとやって、あとは時間をただ無駄にしただけの一日でした。

たまにはこういう日があってもいいのかもしれませんが、時間を浪費したくせに課題もできなかった自分を許せなくなってしまいました。自己肯定感がぐーんと下がった。

 

留年への不安と恐怖が日に日に高まっている。

一応授業自体は多めに履修しているんですが、それでも留年しない保証なんてどこにもない。怪我や病気にかかって休学するとかならまだしも、普通に単位を落としてしまったり、テストが上手くいかなかったりしたらどうすりゃいいんだ。怖い。留年することで親の期待を裏切り、負担をかけ、そして失望されてしまうことが怖い。もう一度就職活動をすることが怖い。もう二度とやりたくない。受験の方がまだマシだったとすら思う。どちらにせよ今からやり直せる気はしないが。

この不安は単なる鬱症状なのでしょうか。何もしない時間がただただ怖くて、衝動的にこの文章を書いています。この時間で課題や読書をする方が何倍も有意義だとは思いますが、そんなことができる精神状態じゃない。仕方ないと割り切ることも、全部放り出して寝ることも、歯食いしばって問題に向き合うこともできない。何もかもが中途半端。

 

私は時間を使うことに対してどこまで本気になれるんでしょうか。

頑張りたい気持ちはありますが、頑張る気力も体力もない。そしてそれを改善しようともしない。結局ズルズルと悪い状態を引きずりながら、「いつか状況は良くなる」という他力本願で曖昧模糊な理想を抱いて死んでいくだけの人生。

状況を良くするためには自発的に動かないといけないし、自発的に動くためには心を入れ替えないといけない。心を入れ替えるには少しずつでも行動を変えないといけない。が、今の私には行動を変えるほどの力がない、というのはただの言い訳なんでしょうね。

 

ミスタイプが多く、何度も何度も文字を打っては消し、書き直すことを繰り返しています。

人生もバックスペースやctrl+zでやり直せればよかったのにね。