【日記】2023年2月13日(月)
冬野水槽です。
体調が悪い。いつものことですが。
具体的には頭痛、腹痛、情緒不安定。(「5080よろこんで」みたいな)
今日は食っちゃ寝していたらこんな時間になっていました。体調悪いし、何も予定なかったし、教習所は定休日だからいいよね。どうか許してください。
最近は心身共に調子の悪い日が続いており、どうも本調子が出ない。体調に関してはいつものことだからいいにしても(よくないが)、精神的に参っていると読み書きができなくなってしまうのがつらい。積んでいる本を消化することも、温めている作品を書き進めることもできず、ただただ焦燥感だけが募っていく日々。つらいぜ。
短歌や小説、noteに関しては全然更新できていないんですが、俳句に関しては別。今のところ、次回の句会に出せるだけの作品はストックできています。それでも、いつガス欠になるかなんてわかったもんじゃないんですけどね。迷いながら走り続けるしかねえ。
俳句、たまに句会の場や先生から褒めていただくことがありうれしい。昨日は所属大学の句会があったんですけど、お招きした先生にお褒めの言葉を頂きました。いえい。
俳句は賞や句会に出すことを目標としているので、あんまりSNSで発表できていないのが少し気になっています。ただでさえ作品の更新頻度が低いのに、現在一番に取り組んでいる俳句を公開しないのはどうなのか……という。Twitterのフォロワー様は基本的に短歌関係の人が多いので、俳句にはあんまり関心がないんじゃないかという気持ちもまたあるけど。
短歌と俳句、どちらも抒情詩ではありますが、かなり表現に差があって面白い。短歌は割と観念的でも成立しやすいのに対し、俳句はもっと具体的でないと成立しにくい感じがします。季語や情景を具体的に詠み込むことで、景色を見せるというか。
高浜虚子は、俳句を「絵画と甚だ似通ったものである」とし、以下のように述べています。
絵画が色や線で形を現すと同じく、俳句は文字を以て景色や事件を現すのである。/高浜虚子、『俳句への道』、岩波文庫、1997、p36
それに対し、短歌に関しては以下のように述べています。
歌はその三十一字という調子からも、また何の季題の制約もない所から主として抒情に適する。/同上、p84
一方、俳句は文字数と季題の制約があるため、「歌の如く抒情には適さない」(同上、p84)と述べています。しかし、これは俳句が情を表現できないということではなく、あくまでも俳句の基本は季題であり、そして「客観写生」であるということです。
歌は主観的の傾向が強く俳句は客観的の傾向が強い。俳句の客観性から客観写生という。/同上、p79
それでは「客観写生」とは何ぞや……という話は長くなりそうなので割愛します。
詳しくは実際に読んでみてください。640円+税。
ちょっとだけ元気が出てきたので、短歌とか俳句とか小説とか読書とか、なんでもいいから文字に触れる作業を始めたいと思います。今日の日記はここまで。
冬野水槽でした。それでは。