ゼロになって

短歌と日記と趣味について

【日記】2022年12月14日(水)

冬野水槽です。

一カ月ぶりの投稿です。一カ月ぶり⁉⁉⁉時経つの速すぎるだろ。

 

今日は早起きをしたり、授業を受けたり、歌集を読んだりして過ごしました。

久しぶりにしっかり寝ました。0時頃から8時半頃まで。

今のところ思考がクリアで、普段より過ごしやすく感じます。また、希死念慮や鬱症状が治まっている気がします。今までの憂鬱はただの寝不足だったってコト⁉

 

気分が明るいせいか、行き帰りの電車で空を見ていました。

近視な上に、掛けている眼鏡には紫外線対策のコーティングが施されているため、空本来の姿や色を見ることはできませんが。

でも、世界って本来そういうものだと授業で聞いたことがあります。「人間が観測できるのは世界そのものではなく、世界という表象(≒イメージ)である」みたいな。表象文化論の授業だったはず。

 

そういえば、2週間くらい前に『RRR』を観てきました。

ネタバレになるので詳しくは言いませんが、音楽や演出が素晴らしく、外連味のある作品でした。もちろん”完璧”ではなく、ジェンダー的役割の描かれ方などが少々気になりはしましたが。とはいえ、個人的にはかなり楽しめた作品でした。また観たい。NETFLIXとかで配信されないかな。

 

それにしても、スマホだと文字が打ちづらい。エンターキーと変換キーを打ち間違えたり、フリックの方向を間違えたりします。PCのキーボードより、スマホの方が触っている時間は長いはずなんですが。キーボードと比べ、スマホの画面は平坦なのが関係しているのかも。キーボードは凹凸があるから指先の感覚を頼りにできるけど、スマホはそうはいかない。

スマホフリック入力に慣れない理由として、「有限性が少ない」というのは一理あると思います。「一つの媒体でできることに制限がかなり少ない」というか。キーボードが文字やコマンド入力しかできないのに対し、スマホの画面はできることがかなり多い。スマホにおけるフリックやスワイプは「文字入力」であり、「画面の移動/操作」であり、「ゲームの操作」であったりする。

キーボードよりも直感的な操作ができる代わりに、「このボタンを押せば”1”が入力される」のような単純な操作性が失われているというか。たとえばガラケーでは、何を押せば何ができるか、ボタンに書いてある。電話帳とかリダイヤルとか(代わりに、それ以外のことはあんまりできない)。スマートフォンはボタンという殻を脱ぎ捨てたが、その殻こそが「アクセスのしやすさ/初見時の使いやすさ」に直結していたのでは。

この意見を見て、「アクセスできない情弱が悪い」「時代に取り残されている」と言うことは容易い。しかし、技術が飛躍的に進歩している現代において、私たちが「情弱」や「取り残される立場」にならない保証はない。

個人的な話になりますが、最近MCUマーベル・シネマティック・ユニバース。『アイアンマン』や『ハルク』、『キャプテンアメリカ』などが同じ世界の出来事であるとする映画作品群)を見ているんですよ。その中では、登場人物であるトニー・スターク(=アイアンマン)がAR(拡張現実)やホログラムを使った技術を使い、様々なアイアンマンスーツやテクノロジーを開発するシーンが描かれています。

youtu.be

アイアンマンスーツやロボットなどはともかく、私が注目したいのはトニーが使うこのホログラム技術です。PCやスマートフォンではない(それらを使うシーンもあるが)、完全に非物質的なテクノロジー。それはキーボードやフリック入力といった次元を超越し、さらに直感的な操作を可能にしています。

これは映画内での演出にすぎませんが、もしこのようなテクノロジーが現実世界で実用化される日が来たとしたら?機械のパーツを投影したホログラムに手を突っ込み、そのまま”動かす”ことができる時代が到来したら?そして、そのような技術が大衆にも浸透したら?

事実、現代においてVRやARは様々な場で活用されています。それらの研究が進めば、トニーの技術が実用化される日も来るかもしれません。その時、私たちが「時代に取り残された情弱」でない保証などないのです。

 

今回はこんなところです。
冬野水槽でした。それでは。

 

marshmallow-qa.com