【日記】2021年5月7日(金)
冬野水槽です。
今日の日記です。
今週はどうも心身ともに調子の悪い日が続き、勉強や短歌に集中できませんでした。いつものことだけど。
一応ブログとか質問箱とかはちょいちょい下書きとか更新したりしてるんですが、公開までは至りませんでした。近々公開したいです。
さて、今回はブログ解説のきっかけでもある短歌の解説についてぼちぼち語っていこうと思います。
短歌をはじめとした作品全般って、「わかる」部分と「わからない」部分のバランスが重要だと思うんですよね。「わかる」部分はいわば共感や納得など、作品の共感性にそのまま直結するところ。「わからない」部分は作中で明示しないところ、隠喩表現とか考察の余地があるところとか。
私は個人的に後者の方を重視しているんですよね。あえて明示せず、比喩表現を使わない方が玄人っぽくてかっこいいかなと思って。単に見栄張ってるだけなんですけど。
ところがそれを意識して短歌を詠み続けた結果、分かりやすい歌が詠めなくなってしまいました。なんか直接的な表現ができない。必要以上に凝ろうとしてしまっているのか、無意識のうちにブレーキをかけてしまっているのか。
加えて、自分の超個人的な体験だとかをテーマにした歌が多いもんだから、「わからない」テーマを「わかりにくい」表現で詠んでしまっている、というのが私のスタイルです。これはいけない。
そんな感じでわかりにくい歌が多くなってしまったので、他人にも自分の歌の真意を分かってもらいたいという志のもと、ブログを開設するに至った次第です。長い。
あと普通に自分語りが好きだからってのもある。
詠む時に気に入った表現とか、短冊にする時にこだわったポイントとかを発信したい。こういうの、オーディオコメンタリーみたいですごく好きなんですよね。単に自分が好きなだけなのかもしれないけど。
ただこういう解説って、さじ加減を間違えるとただ無粋なだけになってしまいそうで怖いですね。作品の余韻を殺しかねないというか。そういう部分は気を付けたいと思っています。具体的にどうすべきかは分からないけど。