【ざっくり概要】ペシミズムとは?シオランって誰?
今回は、私が愛してやまない思想”ペシミズム”、そして”ペシミストの王”とまで呼ばれた思想家、”エミール・シオラン”についてざっくり説明していきます。
あくまで一素人の記事ですので、内容に不備があったらコメントなどでご指摘ください。
ペシミズムとは?シオランって誰?
ペシミズムは、日本語で”悲観主義”や”厭世主義”と呼ばれ、
この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観をさす。
(悲観主義 - Wikipediaより引用)
以下では便宜上、エミール・シオランの言葉を基にした悲観主義を”ペシミズム”と呼称していくこととする。
では続いて、シオランという人物について触れていこう。
エミール・シオランは1911年に現在のルーマニアに生まれ、第一次世界大戦後フランスにて活躍した哲学者・思想家である。彼はその暗い思想で知られ、”ペシミストたちの王”とも呼ばれる。
彼の思想がどのようなものかは、以下の文章を一瞥すれば容易に想像がつくだろう。
ただひとつの、本物の不運、それはこの世に生れ出るという不運だ。
(シオラン[1976:16])
毎日、つぎのように繰り返すべきである。
「自分は、地球の表面を何十億と匍いまわっている生きものの一匹だ。それ以上の何者でもない」
この陳腐な呪文は、どんなたぐいの結論をも、いかなる振舞い、いかなる行為をも正当化する。遊蕩も、純潔も、自殺も、労働も、犯罪も、怠惰も、反逆も。(シオラン[1976:158])
私は、この私自身ほど不必要な、使いみちのない人間を知らぬ。これは私が、かけらほども自慢の種とはせずに、ただそれだけのこととして受容すべき一与件である。
(シオラン[1976:275])
私たちはみな、もはや何も期待しなくなったときはじめて生きることを学ぶ。期待しているかぎり、何も学ぶことはできないが、というのも私たちは、具体的な、生きた現在に住んでいるのではなく、味気ない、はるかな未来に住んでいるからである。
(シオラン[2020:172])
以上のような彼の卑屈で自嘲的な思想の根底には、「生の悲劇的な性質」(大谷[2019:28])がある。
「生きることには必ず悲劇が憑いてまわる」という性質、これがペシミズムである。
人生は辛く、苦悩がつきもので、むなしいものであるという考え方である。
またシオランのペシミズムの特徴として、
- 成功でなく失敗を称賛している
- 人生に苦悩(病気、挫折など)はつきものである
- 怠惰は”高貴な悪徳”である
- 人生はむなしく、意味なんてものは無い
- 自殺欲求
といった思想が多々見られる。
これらはシオラン自身が生涯病気に悩まされ、ほとんど定職につかない”怠惰”な生活を全うし、人生に絶望し続けてきたことに由来する。
これらの詳細については、ブログの一記事に収まるような文章量では済まないし、何よりもうそれをまとめている著書が存在している。気になった方は、以下の本を参考にしていただきたい。読みやすく、なおかつ手堅くまとまった名著だ。
また、シオラン自身が出版した本の日本語訳版も複数出版されている。彼の文章は少々回りくどく、また難解な比喩表現を使うことも多い。
しかし彼は”アフォリズム”という「短い文章によって表現された警句、格言」という形式を取っていることがあり、短い文章が数多く収録されている本も存在する。このような著書は、難解な内容にしては比較的読み進めやすいので、彼自身の言葉に直接触れたいという方にはオススメだ。
ペシミズムって何の役に立つの?
ペシミズムはとにかく暗い思想である。
読者の中には、
「人生はむなしい」とか考えてても楽しくなくない?
「敗北は素晴らしい」なんてこと言ってないで、普通に希望を持って、成功するために努力すればいいじゃん。
などと思う方がいるかもしれない。
結論から言ってしまえば、
そのような方達は、ペシミズムに”あえて”触れる必要はない。
ペシミズムは、そのようなポジティブ思考や健全な人生から脱落した、”敗者のための思想”だ。
自分が敗者か否かを判断する方法がある。
以下の一文を読んでみてほしい。
「自分が生まれたのはたまたまのことであり、人生に意味はない」
あなたはこれをどのように思っただろうか。
これをネガティブに捉えた人間は、あえてペシミズムに触れる必要は無いと思われる。
「人生に意味はない」ということが枷になってしまう人間は、それを当然のものとするペシミズムと相性が悪い。食い合わせが悪い、と言ってしまってもいいかもしれない。
逆に、これを当然のように思った人間や、むしろポジティブに捉えた人間はペシミズムとの相性が良い。私自身もこれを当然のことだと思っている。
というのも、後者の思考をする人間はもともとネガティブだからだ。あなたは、何か精神的に辛いことを抱えていたり、挫折経験を持ってはいないだろうか。ペシミズムは、そのような敗者を救う思想であると、私は考えている。
さて、それでは「ネガティブに感じる」と思った方はどうすれば良いのか。
答えは簡単。
何もする必要はない。
これは決して見捨てているとかふざけているわけではない。決してない。
というのも、そのような「ポジティブな」人間はもともと救われているためだ。
本質的なものを思いわずらうことなしに生きている者は、
はじめっから救われている。
(シオラン[2020:19])
すべての人がその素朴さを失ってしまったわけではない。
だから、すべての人が不幸であるとはかぎらない。
(シオラン[2020:76-77])
不幸を愛したシオランだが、彼によると、「本質的なもの(=死や人生の意味、絶えない苦悩)」を思いわずらっていない「素朴な」人間は不幸ではないと考えているのだ。
よって、「素朴」であるあなたは、そのままで大丈夫。
でも、もし素朴でなくなってしまった時が来たら、シオランの思想に目を通してみるのも良いかもしれないだろう。それもまた一つの生き方だ。
生についてのさまざまの考え方に序列をつけることはできないから、すべての人は正しく、まただれも正しくない。
(シオラン[2020:107])
「生き方は人それぞれ」とシオランも述べている。
いまが幸せなら、そのままで大丈夫なのだ。
”敗者を救う”思想
私は、ペシミズムは敗者を救う思想であると考えている。
というのも、シオランは終始
- 「自殺は救済であり、いつでも死ねるからこそ今を生きられるのだ」
- 「人生に意味は無いが、だからこそ自由に生きることができる」
- 「失敗や苦悩は人生につきものであり、そして人は『私はこんなに苦しんだ』という倒錯したエリート意識を持つようになる」
などと、結果的に敗北者の目線から「どのように生き抜くか」というヒントを与えてくれるためだ。
これは敗者にとって、無責任な希望などよりもよっぽど効果的に働く。
「きっといいことあるよ」という無責任な励ましにイラッときたことはないだろうか。私はある。ペシミズムは、このように”折れてしまった”人間にこそ刺さる。
「何も希望を持たないままにただ生きていくということには、釈放の可能性がない無期懲役と同じ種類の残酷さがある。」
(大谷[2019:195])
この言葉が理解できる人は、先ほどリンクを載せた『生まれてきたことが苦しいあなたに/最強のペシミスト・シオランの思想』を見てみてほしい。案件ではないです。
おわりに
とりあえずざっと私が知っている範囲での紹介は以上になります。
今後は
・「自殺について」
・「挫折について」
・「自分への投資について」
などの更新を予定しております。
それでは、今回はここまでとさせていただきます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
クソ眠い中書き上げたので誤字脱字内容などに不備があれば連絡ください。
よろしゅうお願い申し上げます。
【参考文献(50音順)】